1922~1930

市営交通の創業と市バスの登場

-大正11年-

1922

市営交通の創業

名古屋電気鉄道株式会社
名古屋市内の鉄道計画として、明治27年6月に設立された愛知馬車鉄道株式会社は、29年6月に動力変更の認可と電気鉄道敷設の特許を得て、社名を名古屋電気鉄道株式会社に改めました。
そして、30年に第1期線として笹島(名古屋停車場前)・県庁前(久屋町)間2.2kmの工事に着手し、31年5月6日に日本で2番目の電気鉄道として開業しました。
  • 電気鉄道施設の特許状
    電気鉄道施設の特許状
  • 市内電車の切符
    市内電車の切符
電気軌道事業を買収・市営化へ
明治41年ごろから、高価な料金に対して市民の不満がつのる一方、会社はばく大な利益をあげていたため、しだいに電車市営論が高まり、大正3年9月には、会社糾弾市民大会が開かれ、その終了後には群衆が電車や車庫に放火したいわゆる電車焼き打ち事件がおこりました。
その後、9年7月に市会において「電車市営に関する意見書」が満場一致で可決されました。この市会決議に基づき、会社に市内線 (軌道部)を市へ譲渡するよう申し入れ、電車市営が確定しました。
  • 名古屋電気鉄道の名古屋本社前(明治41年)
    名古屋電気鉄道の名古屋本社前(明治41年)
  • 群衆に火をかけられ炎上する電車
    群衆に火をかけられ炎上する電車
市営交通事業のスタート
大正11年8月1日、西区那古野町の名古屋電気鉄道本社で電車引継式を行い、市営が実現しました。電車事業を行うために新たに電気局(現在の交通局)が設けられ、前夜から全て㊇のマークに塗り替えられた電車は、ペンキの香りも新しく市民の電車として走りだし、現在に至る市営交通事業が誕生しました。このときの路線は42.5km、車両は235両でした。
  • 市営化当日に取り交わされた引継証
    市営化当日に取り交わされた引継証
  • 大正11年の系統図
    大正11年の系統図
  • 電気局徽章
    電気局徽章
  • 市営化当時の乗車券
    市営化当時の乗車券
  • 大正13年に開通した大津町線
    大正13年に開通した大津町線
創業期の発展と昭和初期の不況
電車事業は、市営移管後もますます成長し、昭和初期までは乗車人員、乗車料収入ともに増加し続けました。特に大正15年度は1日当たりの乗車人員が27万1千人に達し、日華事変のぼっ発する昭和12年までの最高を記録しました。路線の新設、車両の新造などに力を注ぎ、安全地帯の設置などサービスの向上にも努めました。
その後、昭和2年の金融恐慌、4年の世界恐慌の影響により、乗車人員が減少しはじめました。市内交通機関としてバスが登場したこともあって、7年度には1日当たりの乗車人員16万5千人と市営開始以来の最低を記録しました。
  • 昭和初期の栄町
    昭和初期の栄町
  • 大正13年に製造した市営化後最初の大型ボギー車
    大正13年に製造した市営化後最初の大型ボギー車
  • 昭和2年に製造した最初の半鋼製低床ボギー車
    昭和2年に製造した最初の半鋼製低床ボギー車

-昭和5年-

1930

市バスの登場

名古屋市における本格的なバス事業としては、大正12年の名古屋市街自動車合資会社の開業が始まりですが、それから昭和4年ごろにかけて次々と民営のバス会社が営業を開始し、乗客の争奪戦を繰り広げました。
このため、それまで市内交通機関として独占的な営業を行っていた市営電車もその対策が必要となりました。市営事業を守り、電車の補助交通機関を整備するため、自らもバス事業を経営することとし、昭和5年2月1日にバス事業を開始しました。
開業したときの路線は22.6km (4路線)、車両は定員20名のシボレー40両、車体は濃えび茶に白帯という塗装でした。
その後、5年4月には浄心車庫が完成して本格的な営業がはじまり、翌6年度からは、大正10年に合併していた新市部へも路線を拡張しました。
  • 前面と側面に電気局の徽章が付いた創業当時のバス車両
    前面と側面に電気局の徽章が付いた創業当時のバス車両
  • 創業当時のバス乗車券
    創業当時のバス乗車券
  • 昭和5年のバス系統図
    昭和5年のバス系統図
  • 新市部へ路線を拡張した後の昭和7年のバス系統図
    新市部へ路線を拡張した後の昭和7年のバス系統図
この記事をシェアする
  • Twitter
  • Facebook
  • LINE
新たなステージへ→これからも、街をむすぶ。人をつなぐ。新たなステージへ→これからも、街をむすぶ。人をつなぐ。