車両で見る100年史

100-YEAR HISTORY SEEN IN A VEHICLE

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過去に使われた市営交通の車両を紹介します。

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創業時
1922年創業時
大正11年8月1日の市営化により、名古屋電気鉄道から電気局へ235両の車両が引き継がれました。内訳は、単車215両、ボギー車15両、撒水車5両でした。その後、路線の建設と交通量の増加に対するため、大正11年度から12年度にわたり、大型単車52両を市営化後初めて新造しました。
⼤型ボギー車
1923年大型ボギー車
大正12年度に市営化後初めてボギー車を新造しました。この車両には、はじめて乗降口に扉を付けたほか、屋根も丸屋根としました。高床式で客室が運転台より一段高く、また車体が長いうえに中央乗降口がないため乗降には不便でしたがよく活躍し、ほとんどの車両が半鋼製車体に改造されて1150型となりました。
⼤1300型車
1929年1300型
初の半鋼製ボギー車である1200型をさらに大型にしたものとして、昭和4年に16両を製造したものです。連節車を別とすれば、全長14メートルという車体は名古屋市の路面電車のなかで最も長く、全国的に見ても屈指の大型車両でした。
改造単車
1934年改造単車
老朽化した単車の木造車体を、半鋼製のものに改造したもので、昭和9年から14年までの間に54両が誕生しました。車体の外観は改造時期によって3種類に分かれますが、右の写真は、昭和12年ごろから34両が改造された最後のグループに属するものです。
1400型
1936年1400型
名古屋市電の標準型として、昭和11年から17年までの間に75両を製造しました。車体は各部に曲線を使って優美な外観とする一方で軽量化を図り、また、性能の面でも優秀な車両で、49年の路面電車全廃まで使用しました。
2600型
1941年2600型
軍需工場への通勤者の増加により輸送単位の大きい車両が必要となったため、全国の路面電車として初めての連節車として、昭和16年に15両を製造しました。当時は電気機器が入手難であったため、ボギー車のモーターを転用して使用しました。なお、2600型という型式は製作年度が皇紀2600年であったため、それを記念して付けたものです。
1500型
1949年1500型
戦後最初の新造車で、昭和24年、25年に45両を製造しました。設計は、1400型に準じていますが、工作や修理を容易にするため直線が多くなっており、外観は多少異なっていました。1400型などとともに、路面電車全廃の日まで使用しました。
1600型
1950年1600型
1500型に続き、昭和25年、26年に76両を製造しました。1500型に準じた設計となっていますが、乗務員の節約のため乗降口を車体の前後2か所としてその幅を広くし、また、車内の通気を良くするため通風器を設置しました。なお、昭和29年に実施した下之一色線のワンマン化にあわせて改造を受け、1700型とともにわが国初のワンマンカーとなりました。
1800型
1953年1800型
無音電車として、昭和28年から29年にかけて製造したもので、制御装置、ブレーキ、台車を在来車とは全く異なる新しいものとしました。特に、29年に製造したものは、写真のように外観も近代的なものとし、車内の点検蓋を廃止するなどして、騒音を一層少なくしました。走っているときに台車外側のブレーキドラムがくるくる回転するのが見え、この車両の特徴となっていました。
1900型
1953年1900型
モーターを車輪の軸と直角に取り付ける直角カルダン方式を採用し、地下鉄車両の基礎を築いた車両で、昭和28年から31年にかけて製造しました。右の写真は、29年から31年に製造したもので、車体の下端が曲面スカートとなって台車は見えなくなっており、その静かな走行ぶりは、無音電車の名にふさわしいものでした。
2000型
1956年2000型
1900型を改良したもので、昭和31年から33年にかけて29両を製造し、特殊な構造を持った800型を除けば路面電車最後の新造車となりました。防音防振台車を使用した高加減速の高性能車で、外観の面でも、全乗降口に1枚引き戸を採用するとともに方向幕や窓を大きくし、スマートで明るい車両でした。
800型
1956年800型
バスに似た車体構造を持った軽量車で、昭和31年から33年までの間に12両製造しました。床下中央にモーターを吊り、駆動軸で前後の台車に動力を伝えるという特殊な構造を持ち、外観的にも、前面の2枚窓はこの型式だけでした。
市バスの登場
1930年市バスの登場
バス事業の創業時に購入した40両のシボレー(1929年式)は、車体は濃えび茶色に白帯という塗装で、屋根はモニター型という二重屋根、乗降口は車体の前後に2か所設け、燃料はガソリンでした。その後、昭和6年度に購入した車両からは塗色と構造を変更し、屋根を一重屋根にするとともに側窓を大きくし、乗降口は1か所としました。
初の国産⾞バス(キソコーチ)
1935年初の国産⾞バス(キソコーチ)
初の国産車として、昭和10年から導入したものです。車体は、当時としてはモダンな流線型のキャブオーバー型で、明るく乗り心地がよいというので好評を博しました。
ダッジブラザース
1947年ダッジブラザース
昭和22年、23年に、進駐軍から1.5トン積みのトラック150両の払い下げを受け、車体を改装してバスにしたものです。車体の改装にあたっては、当時の資材不足を反映して、骨格材は戦時工場の鉄骨、座席の詰め物はわらくずを使い、窓ガラスにいたっては、足りない分は切れ端を継ぎ足して使用しました。なお、右の写真は、バスが路上で故障したときなどに出動する急援車(救援車)として使用しているときのものです。
ボンネット型ディーゼルバス
1948年ボンネット型ディーゼルバス
ディーゼルバスは昭和23年に運行を開始した日野トレーラーバスが最初で、一般のバスも、その後はほとんどディーゼルバスを購入するようになりました。30年ごろには車体が箱型のアンダーフロアエンジンバス、リヤーエンジンバスが登場しましたが、それまでのバスは、エンジンが車体前部に取付けたボンネット型のものがほとんどでした。
定期観光バス
1951年定期観光バス
定期観光バスの経営が各方面から要望されたことから、昭和26年10月3日に事業を開始しました。当初は、貸切バス用車両を利用していましたが、27年に天井の両側をガラス張りにした「あつた」「なみこし」を導入し、毎年夏には夜の観光バスを運転しました。しかしながら、経営は赤字続きであり、37年10月14日に定期観光バス事業を廃止し、新たに設立された名古屋遊覧バス株式会社に引き継がれました。
アンダーフロアエンジンバス
1954年アンダーフロアエンジンバス
エンジンを車体中央部の床下に取り付け、車体を箱型にしたもので、昭和29年から36年まで購入しましたが、その後はリヤーエンジンバスが主流となりました。
リヤーエンジンバス
1956年リヤーエンジンバス
エンジンを、現在のバスと同じように車体後部に取り付けたもので、昭和31年から購入しています。当時はほとんどの路線が運転手と車掌の二人で運行されていたため、車両も乗降口を車体の中央に1か所設けたツーマンバス用のものが多く、40年まで購入が続きました。なお、右の写真は34年に購入した車両ですが、37年以降は、乗降口の扉に1枚引き戸を採用しました。
ワンマン・ツーマン兼用車
1962年ワンマン・ツーマン兼用車
ワンマン運転を行う路線においては、ボンネット型のワンマン専用車を使用していましたが、昭和37年からは、乗降口を車体の前部と中央部の2か所に設けたリヤーエンジンのワンマン・ツーマン兼用車を購入して使用するようになり、その後のワンマン化の推進にともなって、40年からは本格的に導入しました。右の写真は、最後のワンマン・ツーマン兼用車として、49年に購入したものです。
ワンマン専用車
1969年ワンマン専用車
昭和37年からワンマン運転を行う路線にはワンマン・ツーマン兼用車を購入していましたが、44年からは、ワンマン化の進展や車両の価格を考慮し、再び、乗降口を車体の前部と後部の2か所に設けたワンマン専用車の購入を開始しました。塗色は、赤帯を加えたもので(50年以降に購入したものは緑とクリームのツートンカラー)、52年まで購入を続けました。
低公害バス
1973年低公害バス
低公害バスの導入は、モータリゼーションの進行が急加速した昭和40年代後半から始まりました。昭和48年から54年には、電気バス(右写真)1両を試験的に使用しました。その後、平成4年からはディーゼル・電気式ハイブリッドバス、平成6年からはディーゼル・蓄圧式ハイブリッドバスなどが導入されました。現在主流となっているアイドリングストップバスは、平成6年10月から導入が始まりました。
低床バス
1976年低床バス
乗降の際の利便を考え、現在のバスと同じようにステップや床を低くしたもので、昭和51年度から本格的に導入しました。ワンマン専用ですが、低床とした関係から乗降口は前部と中央部の2か所となりました。また、52年度末に購入したものからは全て冷房車両(55年度からは冷暖房車両)、62年度末に購入したものからは基幹バスなどを除いて乗降口を3か所としています。
基幹バス
1982年基幹バス
基幹1号系統に使用する車両は、当初から、冷暖房装置や空気バネ(エアサスペンション)、大型引違い窓、カーテンを装備しています。
三扉バス
1988年三扉バス
昭和63年3月から本格的に三扉バスの導入を進めました。また、平成3年9月からは、空気バネと大型窓の採用、車内案内表示装置の設置、優先席の増設、座席の改良などグレードアップした車両を導入しました。
デザイン博専⽤シャトルバス
1989年デザイン博専⽤シャトルバス
平成元年7月15日から11月26日までの135日間にわたり、世界デザイン博覧会が名古屋城・白鳥・名古屋港の3会場で開催されました。
市バスは主要駅と会場、駐車場と会場とを結ぶシャトルバスのほか、名古屋城会場と白鳥会場とを結ぶロンドンバスを運行し、多くのお客さまにご利用いただきました。
深夜バス
1990年深夜バス
昭和60年ごろから生活時間の変化に伴い、都心部における深夜の交通需要が増し、公共交通機関の深夜運行の需要が高まりました。そこで、平成2年12月5日に深夜1号系統(栄-藤が丘)、深夜2号系統(栄-地下鉄高畑)の2系統の運行を開始しました。
ノンステップバス導入
1997年ノンステップバス導入
現在主流の出入口に階段のない、乗り降りしやすいバスです。当初外国車で購入検討されていたノンステップバスが国産車で生産されることになり、「人にやさしい超低床ノンステップバス」として高齢化社会に対応するため、平成9年3月に導入しました。その後、平成13年2月からは、全車ノンステップ車を購入しています。
都心ループバス
1998年都心ループバス
都市部の活性化を図るとともに、都市部間の移動による新たな需要喚起を目的として、平成10年5月2日に運行を開始しました。日中時間帯は10分間隔での運行を基本とし、また専用停留所を設置して一般バス路線よりも短い停留所間隔とするなど、都心部での買い物客などによる回遊移動の利用をしやすくした路線でした。
なごや観光ルートバス「メーグル」
2007年なごや観光ルートバス「メーグル」
平成19年7月21日に白地に金色の中型車である「メーグル」が、観光ルートバスとして運行を開始しました。主な運行経路は、トヨタ産業技術記念館・名古屋城・徳川園・市政資料館・広小路栄などです。
本市観光文化交流局(運行開始時は市民経済局)の車両で、運行は交通局が受託しています。

東山線

黄電 100型
1957年黄電 100型
地下鉄最初の車両として、開業以来昭和38年までに40両を製造したもので、同仕様の中間車としては500型がありました。騒音を少なくするための弾性車輪やモーターを車輪の軸と直角に取付ける直角カルダン方式を採用したほか、車体は、断面を張殻構造として車体自体に強度をもたせ、床下の機器は車体の膨らみの中に納めるボディマウント構造としていました。5000形への買い替えのため、昭和63年までに全て廃車となりました。
5000形
1980年5000形
東山線待望の冷暖房車両として、昭和55年に1編成製造されたのち、昭和57年から平成2年までの間に順次導入されました。
車体は、軽量化のために無塗装のアルミ車体とし、前面は端に丸みを付けた平面構成で、わずかに傾斜させています。また、初めて前面の扉を片寄せして運転室の正面ガラスを大きくしたスタイルとしたほか、台車には空気バネを採用し、制御方式は回生制動付きのチョッパ制御としています。編成は、藤が丘寄りから、5100形-5200形-5300形-5400形-5500形-5600形の6両編成となっており、63年に製造した車両からは車内案内表示装置が設置されました。
5050形
1992年5050形
平成4年に3編成導入した後、平成12年まで順次導入し、全27編成(162両)となっています。
前面のデザインは5000形のイメージを踏襲し東山線車両としての特色を出しました。2本の黄色のラインカラーを配しすっきりとしたデザインとしています。
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N1000形
2007年N1000形
名古屋の地下鉄開業50周年にあたる年に5000形車両更新のため、N1000形車両を導入することとなりました。このN1000形車両は、名古屋市の重要課題である「安心・安全で快適なまちづくり」の推進を図るため「地球環境に優しい」「人に優しい」を基本方針とし、新火災対策への対応や運転状況記録装置の設置など新たな安全対策、省エネのさらなる推進、乗り心地の向上、車両床面とホームとの段差の縮小や車いすスペースの増設などバリアフリー化の推進を図った車両としました。また、イニシャルコストの縮減とランニングコストの縮減を図りローコスト車両を目指し、エコロジーとエコノミーの両立を図りました。
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名城線・名港線

黄電 1000形
1965年黄電 1000形
1000形は、先頭車で1000形、1100形、1200形の3種類、中間車で1600形、1700形、1800形、1900形の4種類があり、台車等の機器は異なるものの車体はそれぞれ同じで、よく似た外観となっています。
このうち1000形は、昭和40年から42年にかけて22両製造した車両で、初めて前面に行先表示幕を設け、乗降口に1300mmの両開き戸を採用しました。また、台車は空気バネとし、東山線車両と同様に弾性車輪を使用しています。
2000形
1989年2000形

平成元年の世界デザイン博を機に5編成(30両)を導入し、以後車両の買い替え、名城線の延伸に伴い導入しており、現在36編成となっています。
車体は軽量オールステンレス構造です。前面デザインは大型曲面ガラスを採用し、やわらかな曲線を採り入れると共に、傾斜角をつけスピード感あふれるスタイルとしています。
平成24年度からは、経年劣化した電気機器装置を順次更新しています。

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鶴舞線

3000形
1977年3000形
昭和52年の伏見・八事間の開業により9編成(36両)を導入し、その後の延長開業のたびに導入を重ね、昭和59年までに23編成(92両)を導入しました。その後平成5年に庄内緑地公園・上小田井間が開業し、鶴舞線全線が開業すると共に、これまでの4両から6両組成化し、15編成としました。
車体は、長さ20m、幅2.74mとこれまでの当局の地下鉄車両よりひとまわり大きく、無塗装のセミステンレス構造としています。窓の下には鶴舞線の青色のラインが入っています。また乗客サービスの点でも、当局で初めて冷暖房装置を備えた車両です。
平成15年度から16年度にかけてすべての車両に連結部転落防止ホロを設置しました。
3050形
1993年3050形
平成5年に庄内緑地公園・上小田井間の開業により鶴舞線全線が開業しました。これを期に、10編成(58両)を導入しました。このうちの1編成には、3000形の6両組成化により余った3000形2両を中間車に組み込みました。
車体は、軽量オールステンレス構造です。前面及び側面には、青色のラインを配し、3000形車両のイメージを残しつつも現代的で、すっきりとしたデザインとしています。

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N3000形
2011年N3000形
3000形車両の更新のため、平成23年度よりN3000形車両を導入することとなりました。
N3000形車両の特徴として、6050形車両と仕様をあわせ互換性を持たせることにより、車両保全の軽減を図った仕様とし、バリアフリー推進のため各車両に車椅子スペース、ドア開閉動作開始ランプ、スタンションポールの設置、火災対策としての貫通扉の設置などを行った車両としています。

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桜通線

6000形
1987年6000形
桜通線用の車両として、昭和62年に1編成(4両)、平成元年の中村区役所・今池間の新線開業にあわせ12編成(48両)を導入しました。平成6年の今池・野並間開業にあわせ、それまで4両組成を5両組成化すると共に、48両を導入し、全20編成(100両)となっています。
客室内車端部には、車内案内表示器を設置したほか、平成5年に導入した車両から、車いすスペースを設置しています。
今池・野並間開業からワンマン運転化したため、その支援機器として、ATO装置(自動列車運転装置)等の機器を搭載しています。

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6050形
2010年6050形
平成22年度野並・徳重間の新線開業用の車両として、平成21年度に1編成(5両)を導入、平成22年度に3編成(15両)を導入しました。
車両デザインを変更し、電光式の行先表示の採用、桜通線に設置されるホーム柵へ対応しています。また、車両の床とホームの段差を少なくして、車両への乗降をしやすくしています。
火災対策として、煙が隣接した車両へ広がることを防ぐため、全ての連結部に扉を設置しています。

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上飯田線

7000形
2003年7000形
平成15年に上飯田線車両として2編成(8両)を導入しました。この7000形車両は、従来より当局地下鉄車両の設計理念としている「Safety」「Speedy」「Silent」の3Sを基礎とし、種々の新しい技術を導入すると共に、乗客サービスの向上を図り、快適な車内を追求しました。
車体は軽量オールステンレス構造とし、前面窓には大形曲面ガラスを採用して、貫通扉との一体感をもたせたデザインとしています。

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その他

アートトレイン
1995年アートトレイン
平成7年10月に開催された世界インテリアデザイン会議の開催記念として、名城線・4号線(現 名城線・名港線)で1編成運行しました。短冊をモチーフに白地に紺、赤、紫、緑の色彩をほどこしたものと、白地に紺色の大きな手をモチーフにした2種類の斬新なデザインでした。
アルゼンチン・ブエノスアイレス地下鉄に譲渡された車両
1998年アルゼンチン・ブエノスアイレス 地下鉄に譲渡された車両
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの地下鉄を運営するメトロヴィアス社へ平成10~13年及び25年に計108両が譲渡されました。
  • 地下鉄開通
    1957年
    地下鉄開通
  • 栄町・市役所間開通
    1965年
    栄町・市役所間開通
  • 金山・名古屋港間開通
    1971年
    金山・名古屋港間開通
  • 伏見・八事間開通
    1977年
    伏見・八事間開通
  • 中村区役所・今池間開通
    1989年
    中村区役所・今池間開通
  • 上飯田・平安通間開通
    2003年
    上飯田・平安通間開通

花バス

花バスの前身は花電車です。花電車は大正11年8月に、路面電車が市営になったことを祝して運行したという記録もあり、戦前戦後を通じていろいろな祝賀行事に運行しました。名古屋まつりでは昭和30年の第1回から運行しています。昭和41年の名古屋まつりから花電車のほかに花バスも加わりました。路面電車廃止後も、花バスは運行を続けますが、平成17年の名古屋まつりを最後に、惜しまれながら運行を終了しました。

1995年
1997年
2002年
2005年

その他

まんがバス
1981年まんがバス
市民に親しまれ、乗客を誘致できるようにと企画し、昭和56年3月25日から運行を開始したバスです。車体にまんがを描いた可愛らしいバスでした。
お絵かきバス
1994年お絵かきバス
平成6年10月15日~16日に、名古屋まつりの開催にあわせてバス車体にらくがきをして楽しんでもらう「らくがきバス」を実施しました。その後、名前をお絵かきバスとし、さまざまなイベントの開催時にその一環として実施しています。
新たなステージへ→これからも、街をむすぶ。人をつなぐ。新たなステージへ→これからも、街をむすぶ。人をつなぐ。