市営交通のあゆみ番外編
HISTORY EXTRA EDITION
HISTORY EXTRA EDITION
「市営交通100年祭」PRパートナー
NPO法人名古屋レール・アーカイブス
今回はかつて、市電の電停や市バスの停留所、地下鉄の駅にあったものの今は見かけないアレコレの紹介。
と書き出しましたが、市電の電停にあったけど、その後なくなったものはないかといろいろ思い巡らしてみたものの、思い浮かばず。ということでNPO法人名古屋レール・アーカイブスが選んだ市バスの停留所、地下鉄の駅のアレコレです。
赤枠の中に灰皿が写っています。
1967(昭和42)年3月、名城線栄駅~金山駅開業時の金山駅での写真。
1975(昭和50)年6月25日、東山線名古屋駅の冷房開始時の写真。
※Twitter 市営交通100年祭(名古屋市) @nagoya_kotsu100 Jun 25から転載
赤丸の中が灰皿です。当時も名古屋駅の混雑は半端ではなく、その中にあって灰皿が存在していたことは驚きです。
東山線藤ヶ丘駅。1983(昭和58)年5月13日の撮影。
現在の「藤が丘」駅に改称される前の旧駅名標の下に灰皿が見えています。
「交通局ニュース/1985(昭和60)年3月号」に掲載された地下鉄駅構内禁煙のお知らせ。
これを機に、地下鉄では駅構内も禁煙となりました。
ところで当時、一般の鉄道車内での喫煙はまだまだ普通の事でした。ただ地下鉄車内は当初から禁煙でしたし、それでは名古屋市電はどうだったのでしょうか?
《大正十二年鉄道省令第四号 軌道運輸規程》
第二章 旅客運送
第七条 旅客ハ市街地ヲ運転スル客車内ニ於テハ喫煙ヲ為スヘカラス軌道カ指定スル客車内亦同シ
《明治三十三年法律第六十五号 鉄道営業法》
第三章 旅客及公衆
第三十四条 制止ヲ肯セスシテ左ノ所為ヲ為シタル者ハ十円以下ノ科料ニ処ス
一 停車場其ノ他鉄道地内吸煙禁止ノ場所及吸煙禁止ノ車内ニ於テ吸煙シタルトキ
名古屋市電は軌道運輸規程に基づきそもそも禁煙。
地下鉄をはじめ全国的に「通勤電車」と称される車両は昭和時代以前から禁煙となっていました。
もっともそれは保安・防災上の理由からで、健康増進法(2003(平成15)年5月1日施行)による受動喫煙防止といった観点はありませんでした。
1年後の名古屋市交通局の車内の中吊り。この内容について見方を変えれば、灰皿が無くなった駅構内で、まだまだたばこを吸う人がいたということかもしれません。
地下鉄から灰皿が無くなっても、屋外のバス停の灰皿は残っていました。
これは1984(昭和59)年撮影の写真ですが、こうしたバス停の灰皿は平成に入ってからも見ることが出来、姿を消したのは健康増進法の施行以降でした。
ところで地下鉄はまだ解明できていませんが、市バスの広告入り灰皿(吸殻入れ)についてはその設置から撤去までの歴史がほぼ分かっています。
その始まりは1963年(昭和38年)8月、現在の街美社広告株式会社が提案した名古屋市バス停付設吸殻入れ広告が交通局の許可となり、指定業者となったことによります。
更にきっかけは同社の創業者が、バス停留所の周囲に散乱する吸い殻に気付き、そこに吸い殻入れを設置すれば町美化にも貢献できるのではと考えたことによるそうです。
一方バス停の禁煙化は、名古屋市交通局のウェブサイト中の「交通局のあゆみ」に(健康増進法の施行後の)「平成15(2003)年7月1日 バスターミナル・バス停留所の全面禁煙化」とあり、灰皿(吸殻入れ)の撤去もそこから始まったものと思われます。ただ一気に撤去されたのでなく、暫くは「バス停付近は禁煙」でも、「吸い殻入れ」としては、一定期間あったと記憶しています。つまりバス停周辺でタバコは吸ってはいけないが、設置されている吸い殻入れに吸い殻を入れることがOKの時代があったということです。もっともバス停での禁煙実施後、吸い殻入れに蓋(ふた)をしたものもあったので、広告の契約期間によった措置だったのかも知れません。
※参考資料/街美社広告株式会社ウェブサイト、同社創業50周年記念誌
※参照ホームページ/名古屋市交通局 HOME > 交通局について > 交通局事業・概要(市バス・地下鉄) > 交通局事業概要(令和4年度)> 交通局のあゆみ
2012(平成24)年12月の撮影。
伝言板は、そもそも自分が過去に使ったことがあまりなく、その存在を意識したことはありませんでした。
写真の伝言板は、乗客が使わないこともあってか、交通局からのお知らせが貼ってあるのに気付き、「有効利用で面白い」と思い、たまたま撮った一枚。と、こう書いていても、どれほどの方がこの伝言板を覚えているかが不安になるほど。
ざっくりですが、学生層までのポケットベルの普及は1990年代、携帯電話の普及は2000年代で、いつでもどこでも端末を持っている人同士で連絡が取れるようになり、駅頭での待ち合わせそのものが大きな転換点を迎えました。
それまでは駅での待ち合わせの際、急な用事や都合で遅刻しそうになったり、行けなくなったとしてもそれを相手に伝える手段がなく、一方、待っている方としては立ち去る場合の相手への連絡手段はこの伝言板だけが頼りで、いつ来るのかも分からない相手に自分の意思を伝える唯一の手段でした。
(ここで伝言板とは)
駅などにあって、個人的な伝言を書くための黒板。一定の時間を過ぎると駅員が消していた。書き手の主な利用方法としては「待ち合わせ」時における「待ち合わせ相手」への連絡。
コミュニケーションツールの一つとして重宝された。
*OOさんへ。△時□分まで待っていました。帰ります
*OOくん、遅刻だよね。図書館で勉強しているから来てね。
*時には「愛の告白」を見たこともありましたっけ?
*末期には意味不明で、誰が誰宛に書いたのかも分からないものが書かれていたこともあったという覚えあり。
●名前の「OO」は、本当の名前ではなく、あだ名などの愛称も多かったと思います。多くの伝言では最後に記入者本人の名前が書いてあったのですが、これも愛称を多く見かけた記憶ありです。
さて伝言板。いつ無くなったのでしょうか?先の写真を撮影していて、まだあったことに驚いたほどですが、2011(平成23)年3月27日の地下鉄桜通線徳重開業時には間違いなく各駅にありました。
調べを進める中で、2014(平成26)年3月24日の中日新聞夕刊一面に「消える伝言板」という記事が掲載されていることをNPO法人名古屋レール・アーカイブスの会員さんが見つけ出し、私に連絡をくれました。
それによれば2014(平成26)年3月31日を持って撤去されるとありました。
既にJR東海、名鉄、近鉄には伝言板はなく、最後まで存在していたのが名古屋市営地下鉄とは私には驚きでした。
もっとも名古屋市交通局での「伝言板の始まり」については資料が見つからず、残念ながら解明出来ていません。
1984(昭和59)年9月18日、鶴舞線庄内緑地公園駅。その年の9月6日に浄心駅~庄内緑地公園駅が開通したばかりでした。
そして注目は赤枠の中の何か。
これは別の駅で撮影された同じ物。何かと言えば冷水機/ウォータークーラー。
交通機関として必要な設備ではなく、広告を出す企業の協賛金で運営されていました。どこの駅にもあったかと言えばそうした記憶はないので、協賛企業のお膝元で活躍していたのだろうと理解しています。
そしてこの駅に設置されていた冷水機、私もそうですが、多くの人がお世話になったと思うものの、いつしか消えて無くなりました。これは私の推測ですが、ペットボトル飲料の普及とは関係がありそうです。
もっとも冷水機そのものは名古屋市営地下鉄の駅だけにあったわけではなく、広く国民の生活に根付いていたと言え、例えば新幹線の車内や郵便局、役所、学校、病院などにも設置されており、よく利用されていました。どこもいつの間にか姿を消しており、私の知る限りですが、最近はスポーツジムなど一部の施設で見かける程度です。
なお駅設置の冷水機ですが、「市営五十年史」(名古屋市交通局 1972(昭和47)年10月1日発行)の371ページには「44年5月 ウォータークーラー広告」と記述されており、1969(昭和44)年に設置されたことが分かっています。
1985(昭和60)年3月16日、赤塚バス停。
ここにあるバス停のベンチは名古屋市交通局が設置したものではありません。俗に「勝手ベンチ」とも言われていたもの(「この名称」もどこまで普及していたかは、はっきりしていませんが…)で、どのバス停にもあったものではありませんが、それでもそこかしこに置かれていた記憶があり、私もですが、便利に使っていました。
この写真のベンチは如何にもベンチのちゃんとしたものですが、それ以外にも地元の方が自宅で使っていた椅子を置いていたり、商店の軒先に何がしかの椅子を置き、バス利用者に提供されていた事例も見受けました。
その「勝手ベンチ」ですが、多くは公道上での無許可設置だったのですが、かなり長期間に渡って存在しており、恐らくですが利用者の便に鑑み撤去しなかったのであろうと推察しています。
今回はかつての「懐かしい風景」ということで紹介しました。
こちらは現在のバス停のベンチ(の例)。歩道の幅などの条件がありますが、名古屋市交通局が設置しています。
2010(平成22)年11月2日、桜通線鶴里駅。
2011(平成23)年1月17日、桜通線新瑞橋駅。
電光式案内表示装置が最期の活躍をしています。
時代の流れでLED式となるのは必然だったと思います。
*自動券売機
2012(平成24)年5月4日にはあったドニチエコきっぷ専用券売機。設置理由ですが、名古屋駅からの「土日曜日の改札窓口での販売量が多くて人の流れが滞る。なんとかしてほしい」との要望に応えたものだったと聞いています。
2019(令和元)年度に撤去されましたが、単機能の券売機は極めて珍しい存在でした。
*健康増進キャンペーン
2013(平成25)年頃の撮影。
桜通線久屋大通駅のラッシュ時のエスカレーターの混み具合は激しいものがあり、何とか階段利用をしてもらおうと名古屋市交通局ではあれやこれやの手を打っていました。
ユーモアもあり、私の好きなキャンペーンでした。
公衆電話はまだ各駅に1台は残されています。では何が「駅にあったアレコレ」なのでしょうか?
その答は「タウンページ」。
以前は、公衆電話とセットでどこでも見かけましたが、今やどこにも見当たりません。
この写真は2015年の撮影で、このあたりから消えていったものと思われます。もっともこれは地下鉄駅だけでは無く、全国の公衆電話一般の話しではあります。
本コラムの最後をどう終わるかをしばらく考えていたのですが、今年新たに名古屋市交通局の仲間となった車両達にエールを送り、筆を置くことにしました。
●市バス…NS429
●地下鉄…鶴舞線N3815編成
次の時代に向け、NPO法人名古屋レール・アーカイブスは名古屋市交通局を応援し続けます。
ご愛読ありがとうございました。
文責:稲見眞一
調査:内山知之、前田務
※ポスター類の所蔵…NPO法人名古屋レール・アーカイブス
※写真…画面内に特記がないものは撮影:稲見眞一