市営交通のあゆみ番外編
HISTORY EXTRA EDITION
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「市営交通100年祭」PRパートナー
NPO法人名古屋レール・アーカイブス
大イベントが開催されると交通機関も整備される。これは明治時代から現代まで、よくある事例と思えます。
国レベルでは1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックに間に合わせての開業を目指した東海道新幹線の事例がありますし、その東海道新幹線は1970年(昭和45年)の大阪万博時にそれまでの12両編成から16両編成とひかり号の輸送力を増強しています。
ここでは名古屋の事例を見てみましょう。
名古屋市内の交通機関が名古屋市営化される前、1910年(明治43年)に鶴舞公園で開催された博覧会。会期の3月16日~6月13日での入場者数は2,632,748人で、当時の名古屋市のみならず愛知県の人口をも軽く凌駕(りょうが)する人が入った大イベントです。そしてこの入場者を運んだ中心が名古屋市電(当時は名古屋電気鉄道)でした。
※「第10回府県連合共進会全図」(明治43年3月23日 富成櫂七/名古屋用達合資会社)
府県連合共進会とは…1883年(明治16年)大阪府が主催して1府16県の参加ではじまる。以後ほぼ3年おきに開催。名古屋開府300年にあたる年に名古屋で開催された。参加府県は3府28県。
どんなイベントかを一言で分かってもらうのは、今の国内では類似のものがなくなかなか困難ですが、強いて言うなら2005年(平成17年)の愛知万博の参加国が、日本の各府県(全てではありませんが…)だったと思って下さい(現在でも噴水塔と奏楽堂が公園のシンボルとして市民に親しまれています)。
※「第10回府県連合共進会全図」(明治43年3月23日 富成櫂七/名古屋用達合資会社)
そしてこのイベントのために整備された路線があります。この図の上部、東新町~東陽~公園前~大池~上前津の区間で、1日平均で3万人近い入場者をさばいていたものと思われます。
1937年(昭和12年)の3月15日から5月31日までの78日間、当時の名古屋市南区(今の港区)の名古屋港の北エリアで開催された博覧会。入場者数は約480万人。名古屋市との友好国全29か国と国内の様々な企業なども参加した、戦前では日本最大級ともいわれた大イベントでした。
世界の国旗が並んでいます。日中戦争~第二次世界大戦直前の平和な博覧会でした。
※「名古屋市名勝案内図」(昭和12年1月 名古屋汎太平洋平和博覧会)抜粋
当時の地図で場所の確認。現在のららぽーと名古屋、中部労災病院、港区役所の一帯です。
赤丸の中にあるのが博覧会場。そして会場を貫く野立~博覧会正門~築地電車前の路線(野立築地口線、別名「博覧会線」)はこのイベントのため1937年(昭和12年)3月11日に開業しています。
※絵はがき提供…藤井建氏
そしてこの線を含めた名古屋市電を主に、市バス及び現在のJR貨物名古屋港線が1日当たり6万人強の入場者を運びました。
因みに正門前を行く電車が走った地下を今は地下鉄名港線が走っています。
この博覧会をきっかけに名古屋を観光してもらおうという意欲を感じる「名古屋市観光ルート」。ここには市バスの路線も描かれています。
名古屋市制100周年の記念事業として1989年(平成元年)7月15日~11月26日までの135日間で開催された世界デザイン博覧会。入場者数は約1,518万人。
この博覧会は、市内3会場で開催され、地下鉄最寄り駅に近いことから会場へのアクセス拠点となる地下鉄駅について、出入口上屋のデザイン変更など特色ある改修を行いました。
このイベントの開催が直接関係した地下鉄、バスの新規路線開通はありませんでしたが、これを契機に地下鉄、市バス、名鉄、JRが一つながりとなった金山総合駅が7月9日に開設されています。
名鉄金山橋駅の移転、JR東海道本線金山駅の開業も含め当時の名古屋市にとってとても大きな出来事で、利便性が向上したことから副都心としての金山がその存在感を高めることとなりました。
余談ですが「金山総合駅」という交通事業者の駅(バス停)名は鉄道・バスともありません。この名称にある「総合駅」は名古屋市が建設し、保有しているこの施設そのものを表すもので、全国にターミナル駅はあまたあるものの、「総合駅」という名称はここだけの存在です。ところで名古屋市民で、鉄道の「金山駅」を利用する際、「金山総合駅」を呼ぶ方は少なからずいます。それだけ「金山総合駅」の存在感があるということでしょう。
地下鉄金山駅の乗車人員の比較ですが1988年(昭和63年)は11,551,431人。
1989年(平成元年)は14,164,693人。この数字がデザイン博効果だったかどうかについては1990年(平成2年)が1800万人を越えていることから、「金山総合駅」効果があったことは間違いありません。
最後に皆さんの記憶に新しい大イベントをきっかけにした新しい交通機関の開通。
愛知万博は、2005年(平成17年)3月25~9月25日(185日間)の期間で開催され、約2,200万人が来場しました。
そのメインの交通機関として2005年(平成17年)3月6日に開業したのが愛知高速交通(愛称:リニモ)です。もっとも新しいと言ってもすでに17年の歳月が経っています。
市営交通ではないのですが、名古屋市も出資している交通機関として今回、触れることにしました。写真は開業間もない頃で、長久手会場と瀬戸会場を結ぶゴンドラが懐かしいですね。
そういえば、この博覧会の開催にあたって、地下鉄駅に駅番号や駅施設の多言語化などがなされたそうです。
今回はイベントをきっかけとした名古屋の発展の一端を紹介しました。
※画像は提供者を記載した1枚を除き所蔵、撮影とも稲見眞一。